
早いものでNHK大河ドラマ「べらぼう」もあとひと月を残すだけになった。田沼政治とその後を襲う松平定信の「寛政の改革」という時代の変わり目に庶民がどう反応したかは、当時の「狂歌」に表れて面白い。
五七五七七に込められた「批評」は秀逸だ。有名なのは「白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき」だが、“改革”への庶民の冷めた一面と田沼意次(おきつぐ)への再評価の端緒がうかがえる。大田南畝(なんぽ)らが活躍し大いに庶民の留飲を下げた。
今は初の女性宰相が誕生する一方で政権与党が少数派という困難な舵(かじ)取りが迫られる中でどう詠むだろうか。拙い試みだが、例えば公明党の与党離脱。「野に転じ世の垢(あか)落とす信濃路(しなのみち)湯冷めが過ぎて震え止まらず」。
信濃路は同党本部がある通称「信濃町」。与党時代の垢を落とそうと湯に浸かったが、慣れなく湯冷めして震えが止まらなかった。「湯」は、与党からは脱したが野党にもなり切れない「や」と「よ」の中間の「ゆ」党にかけた。
80%台という超高支持率でスタートした高市政権。今後の動向は予断を許さないが、啖呵(たんか)を切った同党に後悔の念や不安がよぎったかもしれない。政権与党との距離感をどう測るのか。
SNSなどでは本格的な保守政権の登場に大きく期待し、いわゆる「高市下げ」が指摘される既成マスメディアへの反発が強い。従来の遅々とした政策遂行への鬱憤(うっぷん)とも言えるが、一方で冷静に核心を突く狂歌の視点も欲しいところだ。






