トップコラム能登を愛した仲代達矢さん【上昇気流】

能登を愛した仲代達矢さん【上昇気流】

仲代達矢さん

 8日に92歳で亡くなった俳優、仲代達矢さんは、能登をこよなく愛した。主宰する劇団「無名塾」の合宿場所とした石川県七尾市中島町では、能登演劇堂を監修し名誉館長を務めた。最後の舞台は5~6月、同演劇堂で主演した「肝っ玉おっ母と子供たち」だった。

 40年に及ぶ仲代さんと能登の縁は、無名塾の合宿で自然に魅せられ、こういう所で演劇をしてみたいと考えたことに始まる。中島町はカキの養殖も盛んだが、大半がのどかな農村地帯で演劇との接点はほとんどなかった。そんな田舎町が、仲代さんの当時としてはかなり突飛な発想によって「演劇の町」に生まれ変わったのだ。

 能登演劇堂では無名塾が定期的にロングラン公演を行い、ここから全国巡演を行うことが恒例となっている。「能登発」へのこだわりとともに、英国の野外劇場に着想を得たという舞台の後ろ壁が開く仕掛けが、この劇場を全国的にもユニークなものにした。

 地元の人々との絆は、昨年元日の大地震でさらに深まった。無名塾の団員がボランティアで出動し、「肝っ玉おっ母と―」は復興への願いを込めての上演だった。

 ある独創的な人物が、ある土地の風土や人々と深く交わると一種の化学反応を起こす。地域の活性化はもとより、新しい文化や産業の創造へとつながる。

 仲代さんが能登にも大きな足跡を残したのは、稀代の名優であるだけでなく、苦労人だけが持つ人間力によるところが大きいように思われる。

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