
ある日、小学3年の息子が持ち帰った宿題プリントに目を通して、驚いた。そこには「立法・行政・司法」「権利と責任」「表現の自由、信教の自由…」といった抽象語がずらり。息子に分かるか尋ねると、やはり首をかしげるばかりだ。果たして、他の生徒たちは理解できるのだろうか。
面談で担任の先生に尋ねると、難しい概念を小さな子供たちにどう教えたらいいか、手探りだという。しかし、まずは子供に触れさせる機会をつくることが目的であり、学年が上がっていくごとに、徐々に深めていき、言葉の意味が少しずつ腑(ふ)に落ちていくようだ。
実際、小学1年の娘の口から、時々ジョージ・ワシントン、エーブラハム・リンカーンといった歴代大統領の名が出てくることもある。学校で簡単な説明の付いた塗り絵などを通して触れているうちに、意味はまだ分からなくとも親しみを持つようになるのだ。
建国以来の歴史や制度を学校で扱う背景には、民主主義が「参加する市民」によって支えられるという考えが深く根付いているからだろう。筆者が出会った米国の人々は、経済や移民、中絶といった問題について自分なりの言葉を持ち、日常会話の延長で政治を語ることが多い。もちろん教育の長所と短所はあるが、この「まず触れる」アプローチには学ぶ点が多いと感じた。
(Y)





