「人の命は平等」と言われる。だが実感の問題として考えると、なかなかそうはいかない面もある。身近な人間の死と全くの他人の死の意味が完全に対等とは言えないからだ。
だいぶ前に外国で数十人の死者を出す凶悪事件が発生し、その中には10人近くの日本人も含まれていた。メディアは日本人に多く言及して、それ以外の外国人の死にはさしたる反応を示さなかった。
そのことに強い反発を覚えた日本の著名作家が「人の命は平等」と批判した。平等の原則に反すると言いたかったのだろう。一般論として間違ってはいないが、日本人が日本人の死に関心を持つのは自然な話で、メディアがそのように報道するのも普通のことだ。特に問題があったとは思えない。著名作家のメディア批判は、その後さしたる反響もなく消えていった。
自然災害を例にとれば、同じ日本であっても、自分の住んでいる地域で生じた場合と、はるかに遠い地域の場合を比べれば、反応の強さは必ずしも同等にはならない。
人の命が大切であり、平等であることに異論はない。しかし死者との関係性を全く考慮に入れずに平等性を強調されても、頭では納得しても実感は伴わないのが正直なところだ。単なる観念の上での論議にとどまらざるを得ない。
人の死を巡って「家族→親しい関係者→よく知らない近所の住人→同じ市区町村→同じ都道府県→日本→世界」という順で実感が乏しくなることは仕方がないだろう。





