
カエサル(シーザー)は2070年ほど前に亡くなった古代ローマの英雄。貴族出身の政治家・将軍だったとともに、優れた文筆家でもあった。著書に『ガリア戦記』などがある。その彼が「現実の全てが見えるわけではない。人は見たいと思う現実だけを見る」と言い残している。
本物の文筆家らしい言葉だ。「人間は現実を選択して見るしかない」とカエサルは言いたかったのだろう。一般には「自分は現実を見た」と言うのだろうが、実際は見ることにも限界があるので「見たい現実」だけを見るしかない。
カエサルはその辺の事情もよくよく承知している人物だった。現実の全てを見ることができるのは神だけだろうから、カエサル自身も見ることはできない。だから彼は「人は見たいと思う現実だけを見る」と言った。
カエサルは天才には違いないが、それでも神には及ばない。あくまでも人に留(とど)まる。普通に生きている凡俗は、限られた思考パターンに縛られながら、そのことを自覚することもなく、「現実を見た」と考える
壇ノ浦の戦いの最終局面で、平家軍の総司令官だった平知盛は「見るべき程の事は見つ。今は自害せん」と言って海に飛び込んで死んだ。
歴史物語の中の言葉なので確認のしようもないのだが、カエサル風に言えば、海に飛び込んだ勇将であっても、全ての現実を見た上で死んだわけではない。見ることができないまま死んでいくのが、どうやら人間の宿命だ。





