スポーツ関係者が審判に抗議することがある。有名なエピソードに、大相撲の昭和33年9月場所で行司の第19代式守伊之助が、勝負審判の物言いで判定が覆ったことに激しく反発した話がある。抗議は10分以上に及び、出場停止処分を受けた。「伊之助涙の抗議」だ。
昭和53年のプロ野球日本シリーズでは、ヤクルトの大杉勝男選手が左翼ポール際に大飛球を放ち、審判が本塁打と判定したことに阪急の上田利治監督が1時間以上も抗議した。大杉選手は次の打席でも本塁打を打った。
昨今は、長時間の抗議はあまり見られなくなった。理由は明確だ。観客の存在が大きくなったからだ。お金を払って観(み)に来ているのに、関係者の抗議で試合が止まってしまうのは納得がいかない、という空気が強くなった。
スポーツとは違うが、昔は学者や文学者同士が論争を行うことも多かった。新聞や文芸雑誌が舞台で、文芸雑誌は月刊だから数カ月も続くことがあった。時には第三者が乱入するなど、昔の文芸雑誌は論争が売り上げに貢献することもあった。
時が移り、平成時代の話だが、文芸雑誌ではない雑誌で学者同士の論争が行われそうなことがあった。ところが、その雑誌を刊行する出版社が「論争は大学の紀要か何かでやればいい」と主張した。「読者にとっては無用」という判断だった。
「時代が変わった」と思ったことは覚えている。「消費者重視の流れは、しばらくは続くだろう」との思いは強い。





