東京の神保町シアターが戦後80年を記念して上映した清水宏監督「蜂の巣の子供たち」を観(み)た。戦後間もない昭和23年の映画で、一人の復員兵が山口・下関の駅で出会った戦災孤児たちと大阪の児童施設まで旅をする物語だ。
冒頭、スクリーンいっぱいの「この子供たちに見覚えのある方はいませんか」という文字が目に飛び込んできた。実はこの映画に出演している子供たちは、清水監督が面倒を見ていた実際の孤児なのだ。
映画は孤児たちのかわいそうな境遇だけでなく、逞(たくま)しさも描いていたが、その後どんな人生を歩んだのかと思わざるを得なかった。先の大戦では12万人が孤児となった。
東京・上野駅の地下道などをねぐらにしていた孤児たちの写真や映像が残っている。多い時期には300人から400人もいたというが、冬場は毎日のように凍死する子供が出た。
「蜂の巣の子供たち」がいたのは下関駅だが、大阪駅その他全国の大きな駅周辺に集まっていた。戦後の混乱期、政府や人々の対応も迅速とは言えなかった。
宮内庁が公表した昭和天皇の后(きさき)、香淳皇后の生涯を記した「香淳皇后実録」によると、皇后は昭和22年5月の全国児童福祉大会で「戦災や引揚の、孤児や遺児の身の上を思えば、何とかして、此の可憐な子供たちを幸福にすることは、出来ないものかと心が痛みます」と心情を吐露された。国母として、孤児の身の上を自分の子供のように案じておられたのである。





