「民は常に徳を好む」(孟子)。いや、「人の性は悪なり」(荀子)。性善説と性悪説。どちらが真実なのか。誰もが一度は抱く疑問だろう。まるでコインの裏表のように思われる。
政府のありさまを巡ってもそんな論争がかつてあった。小さな政府、規制緩和、民営化……。こうしたフレーズで語られる新自由主義についてである。「鉄の女」と呼ばれたサッチャー元英首相が在任中の1980年代に強力に推進した。
性善説者は言う。政府の関わりを減らして民間に任せ、自由にやってもらえば効率よく、かつ健全な自由競争が営まれ、国民のためにならない行為は市場で淘汰(とうた)される、と。性悪説者は反論する。「人は人にとって狼(おおかみ)である」(英哲学者トマス・ホッブス)。自由の下でエゴイズムが闊歩(かっぽ)し、勝ち組と負け組の「とげとげしい格差社会」がもたらされる、と。
これもコインの裏表のように思えるが、今では性悪説が大勢で、新自由主義はからきし評判が悪い。だが、人が狼では救いがない。克服する方策はないのだろうか。
他ならないサッチャー氏がコインの両面を見据えていたことを思い起こしたい。自由化の一方で、常に「伝統的なモラルと家族倫理の復活」を唱えていた。信仰、郷土愛、地域コミュニティー精神を培い「良き市民になり、モラルを高めよう」と(高畑昭男著『サッチャー革命』築地書館)。
「日本の鉄の女」を目指す自民党の高市早苗新総裁にこの言葉を送りたい。





