「人権とは『誰もが自分自身の王』の意味であって、だからこそ個人の尊厳が言われる」(三浦雅士著『スタジオジブリの想像力』講談社)という言葉に出会って、新鮮な印象を覚えた。
「誰もが自分にとっての王」というのが面白い。日本では「われわれ庶民は……」という気質の人が多く、「王」という存在にはあまり接する機会がないだけに「自分自身の王」と言われてもピンとこない側面はある。
「『召使い』はその職掌を離れた瞬間、王と対等となる」という言葉も出てくる。王と全く同等の地位になるわけではないが(そうなれば反逆になる)、人間としてはあくまでも対等だ。仕事を離れた召し使いが自宅でくつろごうが、何をしようが、権利としてはあくまでも平等だ。
これが「社長と社員」程度の話になると、日本人にも何かと理解しやすい。「社員が社長の自宅の掃除を命じられるいわれはない」というのは、今は普通とされている。が、「今は普通」というのは「昔は必ずしもそうではなかった」ということでもある。
国家であれ家庭であれ、あらゆる組織の中に上下関係は必ず存在する。例えば一公務員が、大臣の家の掃除を命じられることは考えにくい。その点は民間企業よりはマシだろう。
今時、民主主義国家の間では「隷属」的な人間関係ははやらない。「尊厳」や「人権」は、建前(制度)上は機能していると言える。建前を本音(自然体)に持っていくことが必要だ。






