
米国の首都ワシントンにある国立公文書館で、第2次大戦で日本が調印した降伏文書の原本を一般公開している。戦後80年記念の特別展示だそうで、併せて昭和天皇の「降伏文書調印に関する詔書」も公開(小紙8月30日付)。
文書は1945年9月2日、東京湾に停泊するミズーリ号の甲板上で調印された。日本側代表の重光葵外相ほか、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥や、英国・中国などの各国代表が署名した。
ここに取材に来ていた記者たちの中に山陽新聞の論説委員、葉上照澄がいた。記者になる前は大正大学の教授で、ドイツ哲学が専門だった。そして米国が大嫌い。米軍兵士のたばこやチョコレートに群がる若い日本人を見て、その将来に絶望していた。
ミズーリ号に乗り込んだのは、マッカーサーに体当たりして海に放り込もうと思っていたからだ。そこに元帥本人が現れた。「まことに淡々としとる。勝者の傲りがみえへん。こりゃ負けたと思うたね」。
高瀬広居が著書『生きる喜び』(サイマル出版会)で伝えている。「もうインタビューどころではない。もうあかん」と思った。ぺしゃんこな日本を見過ごせず、つくり直すためにはどうしたらいいのか。
まず自分からと頭を剃(そ)り、天台宗の比叡山に入った。そして千日回峰行を始めた。45歳だった。「天地がひっくり返っても、これはこうだという自分のものを掴まえんでどうするか」。この精神こそ今の日本人には必要なのだ。






