トップコラム【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(50)トラック大空襲(下)驚くべき緊張感の欠如

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(50)トラック大空襲(下)驚くべき緊張感の欠如

絶対国防圏の構想は破綻

トラック島の竹島基地を攻撃する米軍艦載機

常在戦場の意識失う

トラック壊滅の原因は、偵察の不徹底や安易な警戒解除、劣弱な防御体制だけではなかった。最前線に近いトラックだが、島全体が平時の意識に囚(とら)われ緊張感の欠如は深刻だった。料理屋や慰安所が置かれたトラックは、内地と同じような感覚に陥り易(やす)かった。それが一面では兵士に安らぎを与えたものの、常在戦場の意識を失わせることにもなった。

警戒を解除した小林仁第4艦隊司令長官は米軍来襲前、魚釣りに興じていたとの話が伝わる。また竹島の戦闘機搭乗員らは警戒が解かれたので空襲前夜、夏島で芸妓を集め夜明けまで転属する幹部の送別宴会を催し、そのまま就寝。17日早朝の米軍攻撃時には皆寝ており誰も部隊に戻っておらず、竹島の戦闘機は陸上にあったまま全滅した。

当時、大本営陸軍部の秦彦三郎参謀次長、服部卓四郎作戦課長、瀬島龍三作戦参謀らと大本営海軍部の伊藤整一次長一行がラバウルに向かう途次、偶々(たまたま)トラックに居合わせていた。

空襲前夜、この一行を歓迎する宴が催され、接待のため在島の各幹部が夏島に集められ部隊不在であったことも反撃の遅れに繋(つな)がったとの上層部批判が現地で流布した。さらに小林中将が16日に何故(なぜ)か突然警戒を解いたのは、中央の最高幹部が島に滞在中であり、しかも招宴の予定を慮(おもんぱか)ってのことではなかったかとの臆測も囁(ささや)かれたという。

戦後、この件を問われた瀬島氏は、自らが官官接待を受けたことは否定しつつ、「前夜料亭に泊まっていた士官などもおり、全般的に敵の空襲に対する警戒が弛緩(しかん)していた」と現地部隊の緩みを批判しているが、大本営幹部接待の有無真相は未(いま)だ定かでない。

事態の深刻さを重大視した海軍は、水雷学校長大森仙太郎少将を長とする委員会を設け、3月下旬、現地で調査を行った。海軍丁事件あるいはトラックの頭文字から海軍T事件とも呼ばれた。

しかしその結論は「細部においては多少査問に付すべき事項もあったであろうが、大局的に見てこの少ない兵力を以(もっ)てあの大攻撃に対処するには、誰が作戦指導をしても大同小異の指導であったろう」と関係者の処分や責任問題を曖昧にした事なかれ主義に堕したものだった。上述した噂(うわさ)や幹部、搭乗員の部隊不在問題については何も答えていない。

また第4艦隊司令長官は空襲直後の2月19日付で小林仁中将から原忠一中将に交代しており、小林は大森委員会の事情聴取さえ受けていない。更迭との説もあるが、処分にしては早過ぎる。病気を理由に転任の希望が事前に本人から出ており、それを受けての通常人事と見るべきだろう。何をか言わんやである。

米軍艦載機に攻撃されるトラック泊地の日本軍艦船

首相が参謀総長兼務

トラックの壊滅は、軍中央の戦争指導体制にも大きな影響を与えた。安易な戦線拡大や陸軍に対する補給や輸送支援が十分でないとして、ガダルカナル戦の頃から陸軍の海軍に対する不満は高まりつつあった。さらに相次ぐ戦線の後退で「海軍部内ニハ戦争ノ前途ニ悲観論多ク何等カノ機会ニ妥協和平ヲ企図セントスル空気相当充満シアルカ如シ」(『大本営機密日誌』昭和19年2月13日)との不信感も募っていた。そのような折に起きたトラック空襲の惨敗は「もう海軍には任せておけない」との思いを陸軍指導部が固める契機となった。

東條英機首相兼陸相も船舶や石油、航空機の陸海軍配分問題を巡り統帥部が政府や陸軍省を批判する姿勢に常日頃怒りを覚えていた。そのためトラック空襲直後の昭和19年2月21日、東條は陸海軍両大臣が共に総長を兼務する異例の人事を断行する。自ら参謀総長を兼ねて陸軍の軍政と軍令の双方を掌握、また東條の言いなりとされる嶋田繁太郎海相兼軍令部総長をコントロールして、陸海軍全体を自らが統一指揮しようと考えたのである。

東條に辞任を強いられた杉山元参謀総長は自らの側近に「トラック島の惨敗で陛下の両統帥部長に対する御信頼が薄らぎ、戦局の前途に対する御心配が深いので、毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)を顧みることなく、統帥上の責任をも東條大将自ら背負い戦局を乗り切ろうとする」ものと東條の説明振りを語っている。

この人事は統帥権独立という憲法上の原則を無視する暴挙だが、統一した戦争戦略を打ち出せないことへの東條の苛(いら)立ちや焦りがあった。“東條独裁”の最たるものと今日も批判に晒(さら)されているが、戦後東條は「統帥権の独立、あれでは戦争に勝てない」と述懐している。国務と統帥の分裂を改め、総力を挙げ戦い抜こうと必死だった東條の心情が伝わってくる。

航空部隊はほぼ壊滅

トラック空襲と同時に米機動部隊の一部はトラック北東にあるマーシャル諸島ブラウン(現エニウェトク)環礁を襲い、2月22日、日本軍守備隊4千人は全滅、マーシャル諸島は全て米軍の支配下に入った。さらに米機動部隊は北に進路を変えテニアン島東方に進出、2月23日艦載機延べ350機を以てテニアン、サイパン両島に空襲を掛け、2日前現地に進出したばかりの第1航空艦隊の航空部隊はほぼ壊滅した。

トラック島壊滅で絶対国防圏の構想は破綻、中部太平洋の制海・制空権は完全に米軍の手に移り、日本海軍の決戦海面はカロリン~マリアナからパラオ、フィリピンへとさらに後退を強いられた。古賀峯一連合艦隊司令長官は3月、新たに中部太平洋方面艦隊を編制、司令部をサイパンに置き司令長官に南雲中将を任命した。だがそのサイパン島も4カ月後に陥落する。

(毎月1回掲載)

戦略史家東山恭三

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »