韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
1960年代初め、韓国は世界最貧国の一つだった。南北の対峙(たいじ)と4・19革命(1960年)、5・16クーデター(61年)等の政情不安で外国資本の誘致は夢にも思えなかった。隣国日本との国交正常化も実現しなかった。朴正煕軍事政権は61年12月、突破口として西ドイツ(西独)と経済および技術援助に関する協定に調印した。韓国への1億5000万マルク(当時のレートで3700万㌦)の援助を代価に、西独は韓国人の鉱山労働者(鉱夫)5000人と(女性)看護師2000人を派遣するよう要請した。
派独鉱夫と看護師は大韓民国政府樹立後初の労働力輸出だった。誰でも行けないので、大卒もあふれた。63年、派独鉱夫500人の募集に4万6000人が押し寄せ、92対1の競争率を記録したほどだ。しかし、現実は劣悪だった。早朝4時に起床し、地下1200㍍の坑道で35度を前後する地熱と石炭の粉に耐えなければならなかった。看護師たちもドイツ人が嫌がる仕事を引き受けた。
2014年封切りの映画『国際市場』(邦題『国際市場で逢いましょう』)でその一部が紹介された。1963年から79年まで、ドイツで鉱夫65人、看護師44人、機能工8人が死亡した。大小の事故で命を失うことが少なくなかったということだ。そんな中、差別や迫害がなかったはずがない。
「カエルはオタマジャクシの時のことを忘れる」という諺(ことわざ)がある。初心を忘れたり、苦しく弱かった過去を思い出せなかったりする場合によく言われる言葉だ。最近、全羅南道羅州でスリランカの外国人労働者が(レンガ塊に)ビニールで縛り付けられてフォークリフトで吊(つ)り下げられ、韓国人にからかわれる姿を見て、多くの人の開いた口がふさがらなかった。今も外国人労働者に対する暴力と蔑視は日常茶飯事だが、加害者を法廷に立たせることは極めてまれだ。
問題解決のためには、外国人労働者が事業場を移動できる「職場移転の自由」が保障されなければならない。外国人労働者を対象とする現行の雇用許可制は、現場で不当解雇や傷害などが発生し、被害者が事業場の移転を望む場合、必ず事業主の同意を求めるように釘(くぎ)を刺している。事業主の同意がなければ、現場を離れるのが難しい構造だ。
国際労働機関(ILO)がこうした転籍制限を強制労働に分類し批判するのは、理由があるのだ。外国人労働者は共に生きていく隣人だ。彼らに対する視線も制度も変えるべき時だ。
(7月30日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
「セゲイルボ」





