書店で近刊の新書を買ってきたところ、入っていた栞(しおり)に作家、平野啓一郎氏の言葉が記されていた。「本当の自分など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が本当の自分だ」(『私とは何か』)。
「決まり切った『本当の自分』なぞあるわけがない」ともともと思っていたので平野氏の考えには同感だ。20年ぐらい前、「自分探し」が若者の間で盛んだったことは知っていた。今も細々と続いているかもしれない。
自分探しは、自身の将来への不安から生まれたのだろう。長い将来があるわけでもない70代の人間が自分探しをしている話は聞いたことがない。
それにしても「本当の自分」と言ったところで、そんなものを探してウロウロしている不安定な自分が実は「本当の自分」ということにもなりかねない。
そういえば、イタリアの政治思想家マキャベリ(1527年没)も「人間の内面でさえ自己演出であり、意志の産物だ」(『君主論』)と述べている。それぞれの場面で、人間はさまざまな姿を見せる。「自然に振る舞っている」と当人が思っていても、その自然も時々で姿を変えるのが普通だ。
テレビの街頭インタビューを見ていても、メディアの問いに合わせるように応答するのが普通だ。「全く自然」などということはない。その点では、大衆もマキャベリと少しも変わらない。人間関係とはそもそも身構えるものだ。「本当の自分」も、生きている中でいずれ見えてくるのだろう。







