
先日、四国の故郷の法事に出席した帰りに、岡山から寝台特急「サンライズ瀬戸」を利用した。翌日に仕事が詰まっていて、夜中も少しコンピューターが使える最低限の広さが必要なので、予約は個室の「ソロ」だったが、乗車前に追加料金を払って同「シングル」に部屋を変えてもらった。
かつてブルートレインと呼ばれた寝台特急には思い出がある。大学受験のため友人と2人で東京に出てくる時に使ったのが、寝台特急の「瀬戸」だった。当時は、香川と岡山を結ぶ瀬戸大橋ができておらず、四国内は特急「南風」に乗って香川・高松に行き、高松と岡山・宇野を結ぶ宇高連絡船を経て、宇野駅から「瀬戸」に乗った。
2段式の開放寝台だったが、友人と筆者のどちらが上を使ったのかは忘れてしまった。はっきり覚えているのは、明るくなった車窓に浮かぶ東京に続く街並み。東京に来たのは修学旅行以来、2度目だったが、試験を控えているだけに、「いよいよ来たか」という格別な思いで眺めていた。
1950年代から70年代にかけて長距離移動に重要な役割を果たした寝台特急だが、新幹線や航空路線の発達や運賃の低下、安価なビジネスホテルや夜行バスの増加などに抗(あらが)えず、今も定期運行する寝台特急は「サンライズ瀬戸」(東京―高松)と「サンライズ出雲」(東京―出雲市、岡山―東京は連結運行)だけとなった。その一方で、豪華なクルーズトレインがJR各社で誕生している。
久しぶりに使ったシングルの部屋は、50代に乗った時よりも窮屈に感じた。昔のように、仕事ができて寝られればOKというものではなくなった。もちろん、最初に乗った時のときめきもない。ゆったりと妻と一緒に寝台列車の旅でもしたいなと思った。歳を取ったようだ。
(武)