トップコラム内村鑑三を読む 基督再臨の説教者⑮ 年間58回の講演、2万人の聴衆

内村鑑三を読む 基督再臨の説教者⑮ 年間58回の講演、2万人の聴衆

今井館付属聖書講堂で説教する内村鑑三

自宅敷地内の今井館付属聖書講堂で行われてきた聖書研究会は、1918年9月、聴衆を収容しきれなくなり、神田美土代町(みとしろちょう)にある東京基督教青年会館に移した。

10月、岡山方面の講演旅行から帰京すると、11月には毎週日曜日、ここで聖書研究会を開いた。8日、9日、10日の3日間は基督再臨研究大会を開催。午後の部と夜の部に分けて行われた。午後は500人、夜は600人集まり、盛り上がった。

内村は「聖書と再臨」「地理学的中心としてのエルサレム」「基督再臨と伝道」と題して講演。翌11日の夜には、成功を祝して丸の内中央亭で晩餐(ばんさん)会を開き、有志60余名が集まった。「新規まき直し」を標語に、来年1月17日から3日間、大阪中之島の大阪市公会堂での大会開催を決議。

まだ疲労の残る13日、対独休戦条約調印のニュースが報じられた。『聖書之研究』(1919年1月号)に掲載された「日々の生涯」にこの出来事を記した。

「是にて戦争は一先ず止み、ビスマーク、ヴィルヘルム一世、モルトケ将軍等の努力は無効に帰し、独逸帝国五十年の歴史は一朝の夢として消えて了まつた」。

その後、戦争終結の感想を断片的につづっていく。14日、休戦条約の条文を読んで、「欧州人に愛敵の精神の更に無きことを知りて悲しんだ」と記した。平和が来たのではなかった。「真個の平和は敵を愛するの心より来る、敵をたたき伏せて喜ぶやうでは平和は決して来らない」。

キリストの神髄は山上の垂訓(すいくん)にあると英米人の宣教師は言うが、「彼等は国家としては之を守らない。其点、英米人も独逸人も何の異なる所はない」と批判。

12月1日は日曜日で、同青年会館で「国家的罪悪と神の審判」と題して講演。「123年前、ロシア、ドイツ、オーストリアは理由なくしてポーランドを分割し、その罰として国は滅び王朝はすたれた」と論じ、同様に、「英米仏、多くの罰せられるべき国家的罪悪を犯し、日本も悔い改めることのないまま罪悪を犯し続けた」と断言した。

聴衆は700人に上り、内村も緊張したが、聴衆が何を感じているのか分からないので大胆に語ったという。

1918年は過去になく、全国を東奔西走する年となった。「北は北海道より南は岡山まで高壇に立つこと五十八回二万余人に福音を説いた、その点において今年は余によりレコード破りである、願ふ来年はさらにこれ以上たらんことを」(「日々の生涯」12月22日)。

 翌19年も再臨運動を続けたが、このレコードを破ることにはならなかった。

 6月には会場として借りた東京基督教青年会館が使用できなくなった。管理していたのは牧師によって構成される東京基督教青年会で、無教会主義者らに会館を貸与(たいよ)するのはおかしいと反対の声が上がったからだ。

 そのため会場を丸の内の大日本私立衛生会館に移さざるを得なくなる。

 (増子耕一)

 (毎月一回掲載)

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