「最近、随筆という言葉が使われなくなった。代わりにエッセーという言葉になった」――。新聞小説を読んでいたら、そんな話が出ていた。1975(昭和50)年ごろから、エッセーが主流になった。ちょうど50年(半世紀)前のことだ。
随筆の筆者は文学者が中心だった。時に学者の場合もあったが、それほど多くはない。ところがエッセーは、文学者や学者以外のあらゆるジャンルの人々が書き手となった。文学者の出番は少なくなった。
エッセーの時代になると、本の体裁も変わった。半世紀前以前の随筆本は、函(はこ)入りの場合も多かった。函に守られている印象があった。
費用がかかる函入りでも、読者は函の分のお金を当然のように支払っていた。文学者の社会的地位はそれほど高かった。
随筆は「文学者の世界」のものだ。世間一般に開かれているというより、文学や文壇という狭い世界に限定されていた。それはそれで興味深くもあったのだが、エッセーの新しい書き手の作品に比べれば古臭い印象が強かった。
随筆からエッセーへの変化は「大衆化」の流れだ。50年前に比べて、あらゆる分野で大衆化が拡大・進行している。随筆であれエッセーであれ、活字文化の範囲内のものだったが、活字文化そのものもインターネット社会の中では安泰とは言えない。エッセーはネット上にも掲載OKだ。さりながら、活字で小説やエッセーを読む習慣がなくなることは考えられない。