トップコラム対馬沖海戦120年に思う【羅針盤】

対馬沖海戦120年に思う【羅針盤】

今年は日清戦争終戦から130年、日露戦争終戦から120年、大東亜戦争終戦から80年と、近代日本が戦った戦争から節目の年に当たっている。先月の5月27日、対馬の上対馬町殿崎公園で執り行われた「日露・対馬沖海戦120周年記念追悼慰霊祭」に出席した。

対馬沖海戦(日本海海戦)は、明治38(1905)年5月27日に始まった。東郷平八郎司令長官が率いる連合艦隊は、ロシアのロジェストヴィンスキー中将が率いたバルチック艦隊を、対馬沖で破り勝利した。日本はこの大戦を記念して、5月27日を「海軍記念日」と制定した。

この式典に出席し、80年の長い間平和を享受できた日本、そしてロシア・ウクライナをはじめ世界の各地では、いまだに戦争が起こっていることを思い、我が国周辺もこの80年間では感じなかった厳しい環境下にあることと感じ、半面120年前の日本人の心の豊かさを考えていた。

その一つが、海戦で傷つき殿崎島に漂着したロシア兵約140人のために医者を呼び、水や食事を与えて介護・看護を村を挙げて行ったことだ。敵・味方問わず、相手を思いやり、相手の気持ちになる心の「惻隠(そくいん)の情」や「矜持(きょうじ)」という言葉の実行力だろう。

そしてもう一つは、旗艦が沈み漂着後、佐世保の海軍病院で治療入院中の敵方の指揮官、ロジェストヴィンスキー中将を、見舞いに行った東郷元帥の心の豊かさだ。バルチック艦隊の巡洋艦で戦い、対馬に漂着したマコソタフ海軍中将の手記に、対馬の村人の心の温かさが細部にわたり書かれている話は今でも語り継がれている。「…世界の東の果てに、このような素晴らしい国があることを、私は初めて知った。…きっとこのツシマが世界を平和に導いてくれるに違いない」と結んでいる。

厚生労働省が4日に発表した、令和6年の人口動態統計を見て驚いた。

昨年1年間に国内で生まれた日本人の子供の数は、68万6061人で統計開始以来初めて70万人を下回った。そして一人の女性が生涯に産む子供も、1・15で過去最低に。社会保障の維持や雇用・働き方対策に懸念と言うが、大東亜戦争後のGHQ(連合国軍総司令部)のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)から、政治・教育が抜け切らずにいる。本当に明治時代の、相手を思いやる心を今こそ取り戻し、学校教育に「武士道の教え」を入れるべきだ。

今の政治は、票集めのための、「おねだりに対する金配り」。一日も早く憲法改正し、「偽装国家」から「普通の国」にしたい。そうすれば、通勤電車の中でも周囲を思い、人の温かみを感ずる日常が生まれるだろう。(呑舟)

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