
「思はざる病にかゝり沖縄のたびをやめけるくちおしきかな」――。平成31年、小紙と朝日新聞がスクープした昭和天皇の未発表の御製(ぎょせい)である。
昭和62年9月、腸のバイパス手術のため、予定されていた初の沖縄御訪問を断念された時の御製である。この歌は推敲(すいこう)を経て「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」となり、御製集『おほうなばら』に載せられた。
和歌としては余情豊かになったのは確かだが、発見された草稿の御製の方が、より直截に残念なお気持ちが伝わってくる。先の大戦で多くの民間人を含む約20万人が犠牲となった沖縄への思いは深く、御訪問は悲願であった。
昭和天皇は皇太子時代の大正10年、欧州歴訪の途上、沖縄を訪問されている。草稿の中にある「人のひく車にのりて沖縄のみやこをみたり大正(の)頃」は、人力車に乗って那覇の県庁や首里城を訪ねられた時の回想である。何かにつけ、沖縄のことを心に掛けておられたことが伺える。
上皇陛下は皇太子時代の昭和50年、天皇家として戦後初めて沖縄を御訪問。11回訪ねられた。昭和天皇の深い思いを受けてのことと思われる。このような思いは、今上陛下御夫妻の今回の沖縄御訪問にも受け継がれている。
天皇陛下の御訪問は7回目、両陛下では3回目となる。戦後80年の節目の今回は長女の愛子殿下も初めて訪問された。「次の世代に戦争の惨禍を引き継いでいきたい」との陛下のお考えからである。