韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

よく「ペンタゴン」と呼ぶ米国の国防省(DоD)は1947年に創設された。その前は陸軍と空軍は戦争省、海軍と海兵隊は海軍省に属していた。第2次世界大戦を経ながら指揮の混乱など問題点が露呈し、冷戦に対応するための一貫した軍事戦略樹立の必要性が提起され、各軍を統合する国防総省が生まれた。
この時、国防長官は民間人に任せるという「文民統制」条項が国防総省創設の根拠法である「国家安全保障法」に明文化された。米連邦憲法の主権在民原則に従って国民が選出した大統領に軍の統帥権を付与し、民間人が軍部を統制しなければならないという趣旨だ。
同法は軍出身を国防長官に任命しようとすれば、退役して10年(後に7年に短縮)過ぎなければならないという条件を付けた。6・25朝鮮戦争勃発直後、ジョージ・マーシャル元陸軍参謀総長が議会の最初の特別免除措置によって国防長官に任命されるなど、少数の例外があったが、民間人の国防長官が原則として定着した。
ドイツと日本は第2次対戦の戦犯国という歴史的な負債の中で、民間人国防相(防衛相)の慣行が根付いている。英国も軍の民間統制原則を重視する。3カ国全てが政治家が大臣を兼任する内閣制国家の特徴から政治家出身の国防相が多数だ。
わが国では「非常戒厳」を建議したとされる金龍顕前長官まで47人の国防長官を輩出したが、民間人出身は5人にすぎない。最初の民間人出身は英国商船の船長出身、第2代の申性模長官だ。李承晩元大統領は彼を「キャプテン・シン」と呼んだという。
申長官の後任である李元大統領の秘書出身の李起鵬、政治家出身の金用雨、玄錫虎、権仲敦を最後に、民間人の国防長官は断絶した。1961年の5・16軍事クーデター以後は、予備役将出身だけが国防長官に任命された。
盧武鉉政権は「軍文民化政策」の一環として民間人の国防長官案を検討したが、軍の反発でなかったことになった。当時、南在俊陸軍参謀総長は盧武鉉政権の軍文民化政策に反対して退役に追い込まれた。
共に民主党の李在明大統領候補が最近、「国防長官を民間人が務めることが望ましい」という立場を表明したが、反対の声があまり聞こえてこない。尹錫悦前大統領と金前国防長官が合作した非常戒厳事態によって、民間人国防長官に対する世論の拒否感が薄まったのだろうか。
(5月28日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
「セゲイルボ」