トップコラム神仏習合の歴史語る秘仏【上昇気流】

神仏習合の歴史語る秘仏【上昇気流】

羽咋神社(Wikipediaより)

石川県羽咋(はくい)市の羽咋神社は、平安時代の『延喜(えんぎ)式』にも載る古社で、祭神は磐衝別命(いわつくわけのみこと)。垂仁天皇の御代、一帯に疫病が流行り、怪鳥が出現して人々を苦しめていた。そこで皇子の磐衝別命が派遣され、怪鳥を退治し、地域の発展に尽くしたという。

羽咋という地名は、3匹の犬が怪鳥の羽に食い付いたことから来るという伝承がある。神社の社殿の背後には前方後円墳があり、磐衝別命の墓と伝えられている。

昨年1月、この神社で「秘仏」が発見された。能登半島地震の後、宮司が本殿を調査したところ、社伝に記されている大日如来像を見つけた。神仏習合の歴史を物語るもので、連休の3日間、一般公開された。

日本の神々が実は、仏や菩薩が衆生を救うため仮の姿をとって現れたものというのが本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)。これによると、天照大神(あまてらすおおみかみ)は大日如来(本地)が垂迹した姿だ。

神社に仏像がある一方、神像を祀(まつ)る寺もある。福井県小浜のその名も神宮寺には、本尊の薬師如来像とともに2体の男女の神像がある。山門や本堂には注連縄(しめなわ)が張られているので、一瞬、ここは神社なのかと思ってしまう。東大寺二月堂への「お水送り」が行われる寺でもある。

平安時代から盛んになる神仏習合は日本的融通無碍(むげ)、悪く言えばいいかげんさとみることもできる。反対に異質なものを融合させる和の精神の表れとも言える。いずれにしても明治時代に神仏分離令が出されるまで、日本の宗教の大きな特徴であった。

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