トップコラム大切な文化遺産の保護 【羅針盤】

大切な文化遺産の保護 【羅針盤】

福岡県筑豊地方を旅行した。炭鉱で一世を風靡(ふうび)した所であるが、一昔前あちこちに見えた黒いピラミッドのようなボタ山がどこにも見当たらなかった。尋ねると昭和30年代に炭鉱は閉山され、放置されたボタ山には何時(いつ)しか草木が生え他の山と区別が付かなくなったと言う。言われると青々と雑木が繁(しげ)る三角山が見え、かつてのボタ山だと分かった。

隙間時間に炭坑節の「…あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん、煙たぁかろ…」のお月さんを煙たがらせた二本煙突が聳える「田川市石炭・歴史博物館」に立ち寄った。そこは、わが国の近代化発展を支えた石炭産業の生産流通の仕組み、採掘器具・大型機械、関連施設や現場で働く炭鉱労働者の様子を再現した総合的な歴史博物館で見応えがあった。

中でも圧巻は日本初の世界記憶遺産に登録された「山本作兵衛氏と炭坑記録画」であった。明治・大正の手掘りの時代から、機械化が進み始めた昭和の中期までの、主として中小のヤマの炭鉱労働者の働く現場や人々の風俗・生活の様子が描かれていた。約50年を坑夫として過ごした作者自身が体験し見てきた炭坑社会のさまざまな場面が克明に描かれ、素朴な説明がなされている。

石炭採掘の過酷な労働環境と落盤、発破、炭塵ガス爆発事故で多数の犠牲者を出しながら、かつ、貧しさに耐えながらも逞(たくま)しく生き抜いてきた炭鉱労働者の声が聞こえてくるようであった。政府や企業の記録でなく、一人の労働者・作兵衛が見て体験した絵画で、当時の生々しさや臨場感が感じられた。

感動したのはヤマで暮らす人々の日常風景を描いた絵であった。四畳半押入なしの棟割長屋、屋外の「流し」に七輪(しちりん)炊事、亭主関白の夫婦喧嘩(げんか)、ヤマ人喧嘩の仲裁、大納屋(雑居部屋)での宴会、歌に踊りと手拍子、負傷者を運ぶ俄(にわか)作りの戸板担架、青年団の活動、盆踊り、投げ売りセリ売り、大道芸、紙芝居、更には子供たちの水汲(く)み・担桶(たご)かき、乳児の背負い子守、ドジョウ取りと魚釣り、カナワコマ廻(まわ)し、タコあげ、竹馬、絵模様のパッチ、ネンボウ(一尺棒を尖(とが)らし土に打込み倒し合い)、縄跳び、お手玉などなど。

何とも言えない懐かしさを感じた。全く実体験が無いものだ。何故だろうかと考えた。焼け野原から立ち上がった戦後日本の原風景としての共通性なのか? 復興に燃え苦しさに耐えてきた日本人の魂が忘れてくれるなと呼ぶ声なのか? 言い表せない感動を覚えた。

ユネスコの「世界記憶遺産」とは、消滅(文化浄化)の危機に瀕(ひん)している人類の重要な文化遺産を保護し広く世界に知らしめようとするものである。確かに時代の変遷で消えゆくものは多く、この「炭坑記録画」が記憶遺産に登録されたのは実に喜ばしい。と同時に日本には、大切に残すもの、記憶に留め置くべき風俗、大衆文化の中で、消えゆく途上にあり、必ずしも記録物がないものがどうなるかと気に掛かる。

今年は昭和100年の年であるが、輝いていた「昭和は遠くになりにけり」なのであろうか。(遠望子)

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