トップコラム衰退した文芸評論【上昇気流】

衰退した文芸評論【上昇気流】

「きょうも終日ねていた。『鍵』という小説を読む。るす中に日本ではベストセラーになった本だというが、なんというくだらない小説だ」――。南極で第1次越冬隊長を務めた西堀栄三郎の『南極越冬記』の中の記述だ。

1958年2月19日の日記。『鍵』は谷崎潤一郎の小説で、西堀の感想は文学史上での時代の転換を象徴する。それまで文学全集の第1回配本は志賀直哉だったが、この頃からそれが谷崎に代わる。

奥野健男の「文学観の転換」(『情況と予兆』潮出版社)によると、この変化は日本文学の根本に関わる問題を含んでいた。それまで読者に尊敬される作家は、作家の人格により尊敬されていた。

志賀はじめ夏目漱石や森鴎外らだ。が、谷崎の作品は面白く読まれはするが、道徳的に人格的に尊敬されたのではない。文芸評論家が有効な方法でこれを論じようとすると本質はすり抜け、なすすべがないという。

奥野は読者の好みの劇変に価値観の転換を見る。人々は勤勉、苦労よりも遊びに価値観を置き始めたと。文芸評論のこの無能、無力は大江健三郎や石原慎太郎らの場合もそうだと言い、今日では文芸評論は衰退した。

今年は三島由紀夫の生誕100年で、記念グッズも販売された。奥野によれば、三島は「狷介不屈な、或る狂おしい詩的な魂だった」。その魂は偽りの世の中で「己の信ずる文学と美の完遂のためにのみ向けられていた」と。論じるに値する作家だった。

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