
タイの国境の町、アランヤプラテートから車で2時間余。乾季で道路はもうもうたる砂煙で、気温は30度を超していた。車から降り、道なき道を進むと、林の中に「スロックスレーン村」と呼ばれるカンボジアの自由解放村があった。1981年1月のことだ。
カンボジアの首都プノンペンは75年4月にクメール・ルージュ(毛沢東主義勢力)に占領され、全土で300万人が虐殺された。79年にはベトナムに後押しされた共産勢力がプノンペンを奪い、再び内戦に陥った。
仏教徒は黙したままでいいのか。その思いを募らせ亡命先のパリから祖国に戻り、「クメール人民民族解放戦線」を組織したのが旧政権の元首相、ソン・サン氏である。その拠点が自由解放村だ。
「仏教徒は殺生を好みません。私は戦うべきか悩み、フランスのカトリック僧や高名な宗教家に尋ねると、異口同音にこう答えた。『苦難の民と共に戦うのが仏教徒の使命ではないか。さもないと、さらに300万人が殺されるであろう』と」。そんな話をソン・サン氏から伺った。
村にはワラぶき長屋のような集会所がある。聞けば、寺院だという。「宗教的精神なくして解放への戦いは進められません。だから私たちは新しい村をつくるたびに寺院を建設します」。
4月30日はベトナム戦争のサイゴン陥落から50年。プノンペン陥落は話題にならなかったが、ソン・サン氏の顔が思い浮かび、「平和をつくり出す人」を考えさせられた。