
近所の公立高校で4月8日、入学式が行われた。出勤途中、初々しい新入生と着飾った保護者が連れだって歩くほほ笑ましい光景に目を細めた。
今年だけではないが、この時期、時代の変化を実感させられる。両親に挟まれて嬉(うれ)しそうに歩く新入生が少なくなかったことだ。昭和の時代に、高校生活を謳歌(おうか)した筆者の親は入学式に来なかった。たぶん農作業に忙しかったのだろう。義務教育を終えれば、大人の予備軍入りだ、入学式に付き添う必要なしと考えたのかもしれない。昭和ではそんな親が珍しくなかった。
両親と新入生の希望に満ちた顔を見て、少子化も連想した。筆者は4人兄弟だが、今は一人っ子が少なくない。その子の晴れの姿となれば、両親一緒に祝したいと思うのだろう。その一方で、子供の自立心は大丈夫だろうかとも思う。高校はもとより、大学の入学式、会社の入社式にも親が参列する時代である。
知人にそんな話をしたら、彼のお子さんも高校入学を迎えたことを知った。奥さんが参列したが、そこで驚くべき体験をしたという。国歌斉唱となった時、会場は静まりかえったまま。仕方がないので、奥さん一人が「君が代」を斉唱したそうだ。子供の高校入学式に参列した他の知人に聞くと、国歌斉唱はしっかり執り行われたというから、学校によるのだろう。
昭和は日教組の勢いが強かった。しかし、保守的な土地柄からか、筆者の母校では入学・卒業式ともに国旗掲揚・国歌斉唱は執り行われた。大学入学と共に上京、そこで国旗・国歌を忌避する学校が多いことを知った。
学習指導要領改訂(1990年)で、小中高の入学・卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱が義務付けられた。実施率100%という自治体もある。しかし、保護者一人の国歌斉唱でも「実施」となるから、実情はかつてとそれほど違わないのかもしれない。
(森)