
宗教には信仰と理性の問題がついてまわる。人は自分が正しいと思うものを信じるし、それを信じることで幸せになれれば、他の人にも伝えたいと思うようになる。自分だけが幸せでいるよりは、もっと多くの人が幸せになって欲しいと願うのが人間の自然な心の発露だろう。
だが、宗教的信念が行き過ぎると問題が生じる場合がある。自分が信じているものが絶対的に正しいと思い込み、他者への強要に変わるからだ。時に宗教的信念は人の命を奪うことをも正当化する。キリスト教徒がイスラム世界に攻め込んだ中世ヨーロッパの十字軍戦争しかり、キリスト教の新教と旧教が戦った17世紀ドイツでの三十年戦争しかり。わが国日本では仏教受容を巡る蘇我氏と物部氏の争いがあったし、現代ではオーム真理教の地下鉄サリン事件が記憶に新しい。
組織というものはいつか必ず腐敗堕落する。宗教組織とて例外ではない。ローマ教皇の権威に異議を唱え、マルティン・ルターを中心に16世紀、宗教改革が起こった。これはローマ教皇レオ10世がローマのサン・ピエトロ大聖堂大改修の費用を得るために、これを買えば罪が許されるとして贖宥状(しょくゆうじょう)(免罪符ともいう)を発行して金集めをしていたことをルターが批判したものだ。
自分が正しいと信じる宗教でも、組織として人間が介在する以上は完璧などあり得ない。盲目的信仰に走らず、常識と理性を働かせながら、真理を求めていきたい。
(風)