
30年前の1995年3月20日――。その日の記憶がこのところ鮮やかに蘇(よみがえ)ってくる。所用で筑波大学(茨城県)を訪問する予定で当初、営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線を利用し都心からバスで行くスケジュールを組んだ。それが車で行く人がいたので便乗した。
千代田線を使っていれば午前8時ごろ、霞ケ関駅を通過する。同時刻、猛毒のサリンが千代田線、日比谷線、丸ノ内線の車内で一斉に散布された。いつもの通勤、たまたまの乗車、駅での勤務――。そんな無辜(むこ)の人々が襲われた。
筑波のターミナルで消防車や救急車が行き交うテレビ画面を見て呆然(ぼうぜん)とした。その陰惨な現場に自分が横たわっていても不思議ではない。第2、第3のサリン散布があるのではないか。そんな恐怖心も抱かされた。世界初の無差別化学テロだった。
国家を破壊対象とするテロは単なる犯罪とは言えない。海外では「低烈度紛争」と呼び「準戦争」として臨む。どの国の憲法にも緊急事態条項があり、軍を軸に治安当局が総力を挙げて国民を守る。それが世界の常識である。
日本の戦後憲法には緊急事態条項がない。準戦争という概念もない。その急所を突かれたのが地下鉄サリン事件ではなかったか。「テロ等準備罪」が設けられたのは、事件から20年以上も経(た)った2017年のことだ。
事件を扱う新聞の特集記事には緊急事態の視点が抜け落ちている。30年前には呆然としたが、今は平和ボケ日本に唖然(あぜん)としている。