トップコラムAIで人はより人らしくなるー米コラムニスト ミーガン・マッカードル

AIで人はより人らしくなるー米コラムニスト ミーガン・マッカードル

機械によるユートピアに

1984年、小学6年生の時、私は「ナーズの復讐(ふくしゅう)」というR指定の映画をこっそり見た。あの時、身長がほぼ180㌢もあったことが役に立ったのだと思う。この映画は、体育会系の勝ち組男子学生対コンピューターオタクのおなじみのステレオタイプを題材にしたもので、オタク学生の友愛会が自分たちをいじめていた体育会系をやっつけるという、愉快な結末で締めくくられる。

生産性向上と増える余暇

今ではすべてが古くさく見えるが、それは、ある批評家が言ったように、「際どく、愉快な風刺」が、(女性がセクハラ被害を告発する)ミートゥー運動以後は変わってしまったからばかりというわけでもないようだ。体育会系がオタクを虐げるという力関係は、当時としては普通だったが、今では現実味がない。シリコンバレーは裕福で華やかになり、インターネットは本好きで不器用なキーボード戦士の活躍の場となった。

◇技術にも一長一短

残念なことに、テクノロジーにも一長一短がある。人工知能(AI)は、この数十年の間に金融で必要とされてきたソフトウエアのコードを書くようなオタク的な作業を得意とする。熟練したプロに取って代わるにはまだ不十分だが、まだ誕生から数年しかたっていない。

産科の看護師や連邦判事などは、AIに仕事を奪われる心配がないとしても、これまで特に人がするものと思われてきた仕事を機械が取って代わっていくことになると考えると恐ろしい。人は何千年もの間、人の筋肉の代用品を使ってきた。しかし、頭脳の代用品は試したことがない。もし人間の認知能力が唯一無二のものでなくなったら、あるいは最高のものでなくなったら、社会はどうなるのだろうか。機械が支配するSFディストピアに住むことになるのだろうか。

もしあなたがそれを心配しているのなら、AIが私たちの生活をより人間らしいものにするかもしれない方法を提案したい。AIは手痛い破壊をもたらすかもしれない。しかし、AIによって、私たちが人間にしかできないことに集中することもできるようになる。

仕事のスキルを見ればこれは明らかだ。AIが企業に浸透すればするほど、未来の仕事は、人間的なスキルや人がそこにいる必要のある作業など、人間の方が得意とする作業の重要性は高まる。それはオタクにとっては厳しい変化かもしれない。しかし、ディスプレー上の抽象的なシンボルではなく、人と人とのやりとりが仕事の大半を占めるようになれば、より良い社会になるかもしれない。

しかし、もっと興味深い変化は、私たちの個人的な生活の中にある。特に美しいシーンとして、近所を走り回る子供たちの群れを思い浮かべてみよう。残念ながら、それは古い映画のワンシーンのようで、実生活で目にしたことのある子供はほとんどいない。

6歳の時、五大湖の激しい雪の中でも、母は毎日遊び着を着せられ、夕食まで外で遊ぶように言われた。私が自由に行ける所は、アッパーウエストサイドの生協ビル一つに限られていた。私の友人の子供たちは、組織化された活動に参加することが多い。

スクリーンの誘惑や、子供の遊びを温かく見守ってくれる主婦がいなくなったことなど、理由はたくさんある。しかし、大きな理由の一つは、自動車が普及したことだ。その自動車が信頼性の高い自動運転車になったとしよう。人間の運転と違い、子供を見つければ、確実に停車できる信頼性の高い車だ。親たちは、私の祖母のように、スクリーンを消して、子供にクッキーを渡し、外に出て友達と遊んでこいと言えるようになる。

AIによって、そのような子供が増えるかもしれない。私たちは豊かになるはずだ。現在、収入の頂点にいる人々でさえ、生産性向上の恩恵を受けるだろう。また、多くの専門職の仕事がなくなれば、子育てとキャリアの両立を難しくしている激しく競争的な仕事文化も失われる。また、小さな君主のように、子供が小さい頃から将来のキャリアのための英才教育を施す必要のあるプロフェッショナル階級の子育て文化も捨てることができる。

◇家族と過ごす時間

生産性を高めることで、AIは家族や友人と過ごす時間を増やすこともできる。週休2日制は工業化時代の発明であり、畑や家畜が農家に毎週2、3日の休みをくれて、ゆったり過ごせるようになるわけではない。AI革命も同様に、私たちが周囲の人々との関係に投資できる余暇の時間を増やしてくれるかもしれない。それはディストピアというよりユートピアではないだろうか。

しかし、その余暇がディスプレーとにらめっこする時間に費やされ、人間社会は衰退していくのではないかという反論もあるだろう。そして実際、私がスケッチしたようになるかどうかは選択だと思う。自動的にそうなるわけではないし、AIが代わりにやってくれるわけでもない。

私が言っているのは、それは可能性であり、目の前にある機会を私たちが選択できることだということだ。そして、AIが急速に到来している今、私たちはそれを選択する準備をすべきだ。

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