
日本に長年住む韓国人の知人が帰国してレンタカーを予約したところ日本人と間違われた。韓国人なら乗りたい車種を真っ先に指定する。自分の核心的な要求を前面に出すが、日本人は「この日の車は空いていますか」といった問い合わせから始まるという。
知人はこの日本人的ケースに当てはまったため、“韓国語が上手な日本人”と担当者は思ったのだろう。日本人の奥さんがいる知人は「ああ、自分も日本人になったな」と苦笑していた。
日韓比較文化論というと大げさだが、こうした日常的な場面で日韓の違いを感じた方は多いだろう。もう一つ、その知人は日本に来た当初、日本人のすぐに「はい」と返事する慣習に馴染めなかったという。
日本人はたとえ相手の言い方が意に沿わなかったり疑問に思ったりしても、まず「はい」と答える。が、韓国人は、理解できない、あるいは疑問に思うと、それを自らに納得させるのに時間がかかるという。一見不服なのか抵抗しているかにとれるが、そうとばかり言えないというわけだ。
もちろん、これらは「個人の感想」でこれをもって十把一絡げに国民性を括ることはできない。国家間や企業間であれば、そうした次元を超えた厳しい交渉となるだろう。
「一を聞いて十を知る」つもりはさらさらないが、日常的場面で見る国民性はやはりある程度の普遍性がある気がする。その意味でも国民性(あるいは民族性)の違いを理解するのは面白い。