
「杉並の袋小路で子供らがかくれんぼする/築地の格子戸の前で盛塩が溶けてゆく/東京は読み捨てられた漫画の一頁だ」とは、昨年11月に亡くなった詩人の谷川俊太郎さんの「東京抒情」の冒頭部分(郷原宏選著『ふと口ずさみたくなる日本の名詩』ハルキ文庫)。
東京は近代都市だが、まだ至る所に昔の風景の断片が残っている。草花が住宅の庭などに咲いているのを見掛けると、ほっとする。
今年は昭和100年になるということで、雑誌の特集やテレビ番組などで昭和歌謡が取り上げられている。それを見ると、懐かしいという思いと新しいという印象が入り交じる。昭和も歴史の一ページとなりつつあるのだろう。
昭和の東京にはまだ、武蔵野の面影が色濃く残っていた。だが、宅地開発などと共に自然が少なくなり、今では郊外へ行かないとなかなかその姿を見ることはできない。ただ、昔ながらの風景は路地の一部に残っている。
谷川さんの詩にある「杉並の袋小路」には、隠れるように道祖神や馬頭観音、庚申(こうしん)塚などの石碑が所々に立っていたりする。ひっそりとしているので見逃してしまうほどだが、そこにはお供えの草花や酒などが置いてある。誰かがずっと守ってきたのだろう。
谷川さんは「東京抒情」の最後の方で「美しいものはみな嘘に近づいてゆく/誰もふりむかぬものこそ動かしがたい」と詠む。東京の華やかさとその底にある寂しさが浮かんでくる。