トップコラム「幻の寺院」の永福寺跡【上昇気流】

「幻の寺院」の永福寺跡【上昇気流】

永福寺(ようふくじ)跡

梅の香に誘われて神奈川県の鎌倉に旅した日、寄ってみたいと思っていた所があった。市街地の北東、二階堂にある永福寺(ようふくじ)跡だ。国指定史跡だが、作家、永井路子さんの名ガイドブック『鎌倉の寺』には「幻の寺院」としか記されていない。

永福寺は源頼朝が1192年に建立した大規模な寺院。89年の奥州平泉合戦で亡くなった数万の将兵の鎮魂のためと伝えられ、様式は平泉で目にした毛越寺や中尊寺を参考にしたという。

1405年に炎上した後、記録がなく、再建されることはなかったようだ。しかし、1983年から96年にかけて発掘調査が行われ、その全容が明らかになった。史跡公園として整備され、2017年7月から一般公開されている。

岩手県平泉町からは「中尊寺ハス」が寄贈された。池で栽培され、21年6月、開花したという。バスの終点、鎌倉宮から歩いて5分ほどの所。寺院跡の平地を東、北、西と三方から山々が包んでいる。

ここに来て驚いたのはその規模の大きさだ。池も広大で、池の西側には南から北に、復元された阿弥陀堂、二階堂、薬師堂の基礎が一列に並び、両側には中門跡がある。翼廊で結ばれた構成は京都の平等院を連想させた。

頼朝の没後も3代将軍実朝ら歴代将軍によって蹴鞠(けまり)、花見、歌会などの行事が行われ、幕府のサロンの役割を果たしたという。鎌倉には武家文化と関連した臨済宗の寺が多いが、永福寺は平安文化を継承していて興味深い。

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