
コミュニケーションは普通に行われれば、それで役立っていることが多い。しかし、コミュニケーションは必ずしも正確で透明なものばかりではない。「こぼれ落ちるもの」があるだろうし、「相手に届き損ねること」もある。
数年前に刊行された『現代日本の批評』(講談社)という本では「コミュニケーションは、普通言われているほどシンプルなわけではない」という論点で4人の哲学者・批評家が議論している。
コミュニケーションはうまく行われている時でも、そこには「ふり」が含まれる場合があるという指摘もある。コミュニケーションを少しばかり掘り下げてみれば、いろいろとゴツゴツしている場面があるというのだ。
電話などで、相手の言い分が「ちょっと違う(それほど違わない)」と感じることがある。だが、それを指摘する時間はない。特に音声の場合、流れがあり勢いがある。雰囲気が生まれやすい。そこを切り替えるのは難しい。
「相手にとっては重要で、当方にとってはそれほどのものではない」ということは多い。逆に、自分が何かを妙に強調してしまうこともある。
もともと他人同士だからコミュニケーションが必要になる。そもそも、自分だってそれほど一貫しているわけではない。そうであれば、相手の言い分も一定程度は受け入れるしかないだろう。同じことは文章にした場合でも言える。「対等な」コミュニケーションを行うのはなかなか難しい。