著述家 加藤 文宏

オートバイで石川県の能登半島一周を試みたものの、いくら進んでも珠洲市に到着できず海辺の美しい風景の中で唖然(あぜん)となった。その後、半島一周が東京―名古屋間くらいの距離と知って無知を恥じた。30年前の出来事だ。
昨年の地震で破壊された能登半島のインフラが、まったく復旧していないと主に県外から言われている。一方能登の人々は、広大さや特有の地形など難しさがある中、着実に復旧しつつあると語る。復旧を巡って誤解が広がったのは、事実をありのままに伝える報道が少なかったからだ。毎日新聞に至っては「能登ウヨ(能登の保守主義者)」なる被災者の一団によって、政府や自治体の怠慢を批判する人々が攻撃されていると連載コラムで言い出した。
実態は、こうだ。権力者は能登を見捨てたと主張する政治家などに影響された一部のボランティアが、政府や自治体を批判しない被災者は「肉屋に媚(こ)びる豚」であると言い出し、悪意を込めて能登ウヨと呼んだ。彼らの権力批判は実情を無視したもので、仮設住宅に用意された電球の色が気に食わないといった言いがかりじみたものまであった。コラムを書いた毎日新聞の記者は、採算性が乏しく電力会社が撤退を決めた珠洲原発計画についても、住民の反対で頓挫したと語る人物の証言だけを紹介している。
ありのままを報道が伝えないのは、自らが作り出した「お話」を基に次のテーマも語らざるを得なくなっているからだ。このため虚構が雪の玉を転がすように成長してしまう。かつて毎日新聞に限らず多数のマスコミが、原発事故報道で加害と被害の関係を誇張して伝えた。政権を批判するとき事実を歪曲(わいきょく)しがちだった。いくつもの誇張や願望を現実そのものと決めつけて怒りをあらわにしてきたため、能登半島地震でも市民と権力が闘う極端な構図しか描けなくなったのではないか。
能登半島地震の被災者に話を聞くと、「クレーム処理にあたる自治体職員が疲弊して、仕事を辞める人が増えました。しかも新聞のコラムが被災者を分断しただけでなく、県外からの被災地差別にまで拍車を掛けようとしました。富山県のイタイイタイ病では公害を発生させた企業が賠償金を払っただけでなく汚染した土地を元通りにしましたが、私たちを馬鹿にして被災地の人間関係を壊した新聞社は何をしてくれるのでしょうか」と苦い思いを語ってくれた。
この痛切な訴えは一新聞社だけに突きつけられているのではなく、能登半島だけの問題でもない。ペンが剣より強いなら、凶器を振り回す責任が伴う。責任を負えないなら、権力の監視役などと大口を叩(たた)いてはいけない。願望を事実のように語る報道ほど始末が悪いものはない。被害者の声が聞こえないふりをするなら、公害排出企業と同じだ。
分断された地域の今後を不安視する被災者に、私は原発事故報道の例を一つずつ挙げながら「悪影響の後片付けに10年以上かかり、癒えない傷も残る」と答えるほかなかった。報道が社会を踏み荒らしたとき、後片付けをしてきたのは割を食った当事者たちだった。しかし報道に責任を取らせる強力な仕組みを、私たちは未(いま)だに発明できないままなのだ。