韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

大韓民国の国防部長官(以下、国防長官)の系譜は1948、49年に初代長官を務めた光復軍(大韓民国臨時政府の軍事組織、40年中国・重慶で創立)出身の李範●(=大の両脇に百)長官を筆頭とする。以後これまで、ほとんど当日の離・就任式を通じて前任者と後任者が交替した。
まれに例外はあった。最初の空白は6・25戦争(韓国動乱)の時だった。51年の(慶尚南道)居昌良民虐殺事件(軍による民間人大量虐殺事件)と「最悪の軍需不正」として知られる国民防衛軍不正横領事件で申性模第2代国防長官が黒幕と目されて世論が沸き立った。李承晩大統領(当時)は戦争中にもかかわらず、同年5月5日、申長官を解任し、後任の第3代長官に李起鵬氏を任命した。2人の離・就任の空白はわずか1日だった。
それから10年後の61年にも国防長官空白の状況が再発した。(朴正煕少将=後に大統領=らによる)5・16軍事政変が発端だ。第11代の玄錫虎長官の在任時期だった。張勉内閣の実力者だった彼は軍事政変2日後の5月18日、国防長官から退任した。2日後の20日に鄭都暎氏が第12代長官に就任するまで1日の間、長官は空席だった。その後、軍事政権の除去対象に追いやられた鄭長官は就任18日で辞任し、この時、国防長官は5日間、空席だった。昨年の12・3戒厳事態まで、最長期間の国防長官不在だった。
現在、国防長官は空席3カ月目だ。激動の近現代史でも経験しなかった未曽有の事態だ。安保の空白はもちろん、軍の人事と軍事外交などにおける障害が懸念されているのは当然だ。国防次官の職務代行自体が無理だという指摘と共に、早急な長官人事がなされるべきだという世論が沸騰している。
カギは国防長官の任命をためらう野党第1党「共に民主党」の態度だ。李在明代表は今月20日、与野党・政府国政協議会において、与党「国民の力」の国防長官の任命建議に、「(長官を任命すれば)戒厳をまた行う可能性もあるのではないか」と言って、反対の立場を示したという。
これまで真意を疑わせる李代表の一貫性のない発言は一度や二度ではないが、こじつけだ。分断国家において安保の司令塔をこれほど長く空けておくのは望ましくない。その上、国際安保秩序が急変している状況ではないか。国家守護と憲政秩序を守ることができるなら、民間であれ軍人であれ、出身を問う立場でもない。
(2月25日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
「セゲイルボ」