
今月初旬に日本海側を中心に降った大雪のさなかのこと。テレビ(民放)で女性アナウンサーかリポーターが「子供が転ばれていました」と放送していた。「子供が誰かに雪原に転ばされた」というのではない。子供が雪で転んだだけ。ケガでも何でもない。
「転ばれていた」という聞いたことのない言葉に驚いた。よくよく考えてみれば、この女性は子供に敬語を使ったつもりだったのだろう。
コンプライアンスが重視されるようになった昨今、「子供が転んだ」と放送したら、強い抗議がテレビ局に寄せられるだろうと女性は恐れたのかもしれない。
子供の転倒は瞬間的に起こったことだから、女性は咄嗟(とっさ)に「転ばれていた」と発してしまったのだろう。そんな事情や背景があったとしても、聞いた人にとっては奇妙な日本語であることに違いはない。
普通に「子供が転んでいました」と言えばいいのにと思ったが、当の女性も「あれは言い過ぎだった」と後で反省したかもしれない。それにしても「敬語の使い過ぎもここまできたか?」といささかショックではあった。
万事「やり過ぎ」は起こりやすい。何かの状況が一つの方向に向かって進む時には、必ず「やり過ぎ」が生じる。状況が落ち着いた段階で「あれはまずかった」と反省することはしばしば繰り返される。10年もたって、2025年ごろを振り返ってみれば「何であんなに敬語を使っていたんだろう?」と思う瞬間は必ずあるはずだ。






