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防衛省の制服組(自衛官)は国会の答弁に立つことはできないのか。国民民主党の橋本幹彦衆院議員が制服組の国会答弁を再三求めたことに対して安住淳予算委員長(立憲民主党)が叱責し、今後も制服組が国会答弁をしないとする慣例を変えないとした問題である。
安住氏はシビリアンコントロールを盾に「(この判断は)戦後の長いルールの中で重く積み上げられたこと」としたが、橋本氏の指摘は重要だ。
シビリアンコントロールについて防衛白書は「民主主義国家における軍事に対する政治の優先、又は軍事力に対する民主主義的な政治による統制を指す」としている。国会で現役の制服組が出席、答弁した例は昭和34年の戦闘機の機種選定問題の時しかない。
国会での安全保障論議では、何よりも最新の軍事情勢や部隊・兵器の性能、運用等の実態に長けた現役自衛官と直接論議ができるのが望ましい。国民にとっても現実的な安保論議への一助となろう。
ただ問題は、制服組の国会出席は政争の具にされる可能性があることだ。むしろ政府・与党側が軍事合理性を真髄とする制服組の発言を危惧し、野党も自らの安保論議への挑戦になる恐れありと消極的だ。
シビリアンコントロールとは縁遠い“なあなあの慣行”が幅を利かせてきたのだ。制服組としても微妙な問題には答えにくい。一気には難しいだろうが、周辺の情勢分析や装備の性能等に限定して聴取することから始めてはどうか。