トップコラム古き良き阿佐ヶ谷文士村【上昇気流】

古き良き阿佐ヶ谷文士村【上昇気流】

阿佐ケ谷駅周辺

東京の阿佐ケ谷駅や荻窪駅周辺などに昭和初期、多くの文学者が集ったことから、この一帯は「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばれた。その中心にいたのが作家の井伏鱒二である。

文士村となったきっかけは関東大震災だった。壊滅的な被害を受けた都心などから郊外へと文学者の移住が始まり、その流れの中で井伏も比較的家賃が安い荻窪に住むようになった。

当時の文学者は貧しい人が多かったが、金を工面してでも酒場で過ごすことを好んだ。阿佐ケ谷駅前の中華料理店「ピノチオ」で多くの文学者が管を巻き、談論風発していたことは有名だ。そこに井伏も通い、自然に文士の社交場として「阿佐ヶ谷会」が生まれた。

井伏は人望があったのか、不思議なほどその周辺に有為の人材が集まった。その一人がよく知られた太宰治である。井伏と太宰の出会いは、ちょっと珍しい。というのは、まだ無名だった井伏が同人誌に発表した作品を、青森の早熟な中学生だった太宰が読んで「埋もれたる無名の天才を発見した」と興奮したことがきっかけ。

その作品が「幽閉」、後に「山椒魚」と改題された代表作である。その太宰は井伏を慕って荻窪周辺に住むようになった。一種の押し掛け弟子となった太宰と井伏の関係にはいろいろなエピソードがあることが知られている。

現在、文士村時代の面影はほとんどないが、阿佐ケ谷駅前には書店があり、辛うじて古き良き時代の文化の薫りを残している。

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