「人権の保障」「人権擁護」とは聞き慣れた言葉だ。一方、国内で“戦後最大”の人権侵害が放置されているとは驚く。60年間、延べ4300人に上る特定宗教信者への弾圧が、民主国家日本で放置された事態は見過ごせない。
戦前と戦時、大本(おおもと)をはじめ、国家により宗教弾圧が行われた日本では戦後、日本国憲法に信教の自由を謳(うた)った。だが、戦後80年を迎えてなお、その基本的人権の意義は深まっていない。
既成の宗教にリベラルな考え方が広がる中、戦後も良心豊かな日本国民が生きた信仰を求め、さまざまな新興宗教が芽生えた。1959年に設立した世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)もその一つ。
信者は神への強い信仰を持つ一方、神を否定する左派思想の克服を目指し、勝共運動を通じて積極的に政治参加もした。その熱意は、憲法前文の冒頭にある、国会と総選挙重視の精神を尊重する証左でもある。
ここにリベラル化した宗教と、共産党をはじめとする左派政治が一致団結、メディアをも味方に、あらゆる利権を巡り家庭連合に反対する背景があった。
その典型例こそが、キリスト教牧師らによる、拉致監禁・強制棄教という拷問的な脱会説得の活動だ。狡猾(こうかつ)なことに、これが犯罪として法的に追及されぬよう、首謀者らは「信者家族らによる保護説得」という欺瞞(ぎまん)の盾を築いたのだ。
憲法で保障された精神、身体、経済に及ぶあらゆる自由権を、被害信者らは監禁によって長期間、奪われた。監禁は棄教するまで無期限に続き、信教の自由は極度に抑圧された。唆(そそのか)された信者の家族が、拉致監禁の実行役となることで、家族内の絆が引き裂かれる。相互に生じる心の傷こそは、究極の人権侵害と言われる所以(ゆえん)だ。
60年間、この事態を見て見ぬふりをし、放置した警察と司法は、重大な責任を負っている。
被害の訴えが国内で無視され続ける中、国連は、日本が批准する人権規約に基づき、具体例を示しながら政府に2014年来、対策を勧告してきた。2009年来、米国務省も認識を明確にした。現トランプ政権でホワイトハウスに新設された信仰局のポーラ・ホワイト氏は、就任前から強い懸念を表明している。
だが日本の現状は、安倍晋三元首相暗殺事件が、家庭連合批判にすり替えられ、今日、宗教法人の解散命令が文科省から請求され、第一審の結果を待つ事態に発展している。
岸田文雄首相(当時)は法人の解散事由に民法上の不法行為を含むと、確固たる議論を欠いたまま一晩で見解を変えた。文科省の宗教審議会では、委員の異論を封印して全会一致を強引に取り付けた。文科省が聞き取って作成したという、家庭連合反対者の陳述書も、虚偽、捏造(ねつぞう)が指摘される顛末(てんまつ)だ。政府の歴史的な責任を法人解散で葬ろうとしていると言って過言ではない。
東京地裁は解散請求を決定せず、政府はむしろ戦後最大の人権侵害の放置を改め、請求を取り下げるべきだ。逆に拉致監禁被害者の聞き取りを丁寧に進め、警察と司法を動員し、隠蔽(いんぺい)された犯罪を告発、撲滅すべきだ。(駿馬)