韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

ギリシャ神話を見ると、人類に火をプレゼントしたのはプロメテウスだった。彼は神々の占有物だった火を盗んで人間に密(ひそ)かに与えた。怒ったゼウスは彼をコーカサス山の山頂に鉄の鎖で縛り付けて、ワシに肝臓をついばまれる刑罰を与えた。プロメテウスが残忍で苦痛の刑罰を受けている間に、人間の世の中は彼が贈った火のおかげで急速に発展していった。オリンピックの聖火の点火式はこのようなプロメテウスを称(たた)えるためのものだ。
古代文明において火は宗教的な儀式と霊的な価値の一部だった。火を使った遊びの起源も相まっている。9世紀の中国で火薬が発達して、多様な見世物を提供する花火に進化した。火を使った遊びは誘惑が執拗(しつよう)で強烈であるためだ。炎を統制可能な領域に閉じ込めて楽しもうとすると、時には大惨事につながることもある。それにもかかわらず、絆と結合という社会的な関係を厚くする機会を提供してきた。地球上の至る所で夜空に刺繍(ししゅう)する花火がいっそう華やかになった背景だ。
火遊びの大気汚染問題はもう一つの悩みの種だ。花火の炎の多様な色は銅、リチウムなど多くの化学物質(中金属)で作られている。花火が破裂する間、消えずに空中に広がる。これ以外にも炭素の排出、光の攪乱(かくらん)による動植物生態系の破壊などの悪影響を及ぼす。今月3日、高麗大学校の保健環境融合科学部がソウルと釜山の花火フェスティバルの後、近隣地域の微小粒子状物質(PM2・5)の濃度を測定すると、その数値が実に32倍まで増幅したという。
今日は小正月だ。1年中で一番月が大きく明るい陰暦1月15日に積み上げた薪の山に火を付けて1年の福を祈願する民族固有の伝統名節(祝祭日)だ。庶民たちは共同体の結束を固める遊び、消滅と出発の精神を込めた火遊びで疲れた人生を慰めた。中でも田の土手や畑の土手を燃やしたり、缶に火を入れて回す「チブルノリ」は、子供たちに断然人気だった。ややもすると小さな藁葺(わらぶき)屋根の家を燃やす火災になるのではないかと気をもんだりもした。
発光ダイオード(LED)の登場で今はそんな心配はしなくていいようだ。LEDチブルノリは伝統の現代化だ。炭素排出議論からも自由だ。花火の比ではない。共同体の結束より個人の要求が大きくなった時代ではあるが、小正月の月を見ながら幸運と豊穣が宿ることを願う気持ちには変わりがないだろう。
(2月12日付)
「セゲイルボ」
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。