
大岡越前守忠相といえば、時代劇ヒーローの一人。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の側近であり、江戸町奉行所での「大岡裁き」は講談、歌舞伎でもよく演じられる。この名裁きで彼は旗本から大名にまで破格の出世を遂げた。
有名なのが、1人の子供を2人の母親が親権を主張して争った調停だ。痛がる子供の腕を引っ張るのを止めた方を「母」とした裁定が拍手喝采を浴びたのは周知の通り。
が、これにはこんな後日談と言われるものがある。負けた女は「偽り者」と世間から散々に指弾され、ついに川に身を投げた。遺書には奉行宛てに「ほんとの母」と改めて主張してその恨みが綴られてあった。
「御奉行様の仰せを堅く信じた私は石に齧りついても子を引っ張らねばならぬと思ったのでございます。御奉行様は御自分でお命じになった言葉が一人の母親にどれだけの決心をさせたか御承知がないのでございます。偽ったのは御奉行様です。天下の御法です」と。
浜尾四郎の「殺された天一坊」(『史実は謎を呼ぶ』中公文庫)から引いた。著者の浜尾は検事を辞し、弁護士のかたわら小説家として本格的探偵小説を多く手掛けた。子に東宮侍従を務めた浜尾実、カトリック教会枢機卿の浜尾文郎がいる。
この後日談が史実かどうか分からない。しかし、浜尾は大岡の裁きを批判しているのではない。その後の大岡の「苦悩」を伝え、裁く者と裁かれる者との心情を独特な視点で描いている。