
宗教が国境を越えて入って来るとき、おおよそは、その国家の土着宗教と教義的な面で衝突しやすい。
日本であれば、古代の神道と仏教との衝突は、旧来の神道を奉じる物部氏と仏教を招来しようとした蘇我氏の宗教戦争でよく知られている。
仏教側の蘇我氏が勝利したので、以来、仏教が政治の中枢に入り、全国的に展開されるようになった。
一応、この戦争を宗教戦争と言ったものの、実際は旧来の保守勢力と外来の勢力の支援を得た新興氏族の戦争、要するに政治的な戦争であったのは否定できない。
宗教勢力も、国境を越えるときには、民族的な枠組みを超えてグローバルなものとなり、その後ろ盾に国家権力や政治勢力がついてまわるからである。
聖徳太子は勝利祈願のために呪術的な誓いを立て、その結果、四天王寺などを建てたといわれている。
宗教がそのような側面を持ちやすいために、博愛をうたうキリスト教が南米などの布教に軍隊とセットになって侵略戦争をしたのも考えてみれば不思議ではない。
日本の明治時代にキリスト教が敗者の徳川幕府側に拡大したのも、勝者の薩長土の新政権に対する反体制的な情念が背景にあったとみることもできる。
日本のキリスト教が社会主義運動に結び付いたのも、そうした政治的敗者の怨念が背後にあったからだろうと思う。
(羽)