トップコラム高浜虚子生誕150年【上昇気流】

高浜虚子生誕150年【上昇気流】

高浜虚子の句碑

JR鎌倉駅で下車し、観光案内のパンフレットを探していたら講演会「虚子生誕150年 鎌倉ゆかりの俳人高濱虚子の足あと」というのを見つけた。虚子は1874年2月22日の生まれ。

2月1日と18日、駅東口から5分ほどの鎌倉婦人子供会館で開かれるという。かつて句会が開かれたゆかりの場所だ。鎌倉は虚子が約50年を過ごした地で、旧居跡が由比ガ浜3丁目の江ノ電線路沿いにある。

亡くなったのは1959年で、源氏山の麓の寿福寺に墓がある。北条政子の建立した寺で、ここに源実朝と母、政子の墓もあり、作家、大佛(おさらぎ)次郎の墓もある。虚子は鎌倉文士の最初の一人だった。

正岡子規の下で俳句を学び、その後、俳誌「ホトトギス」を継承した。夏目漱石の小説『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を世に送り出した俳人、小説家だった。鎌倉駅を描いた「道」という作品がある。

虚子はここから電車で東京に行き来していた。通勤するかのように。その体験に基づいて1914年に書いた作品。その頃、改札口は一つだったが、プラットホームに流れ込んでくる道は三つあったという。

改札口のほかに裏通りについた道で、便利な近道として通行できない所にできてしまった。駅長は柵を作るなど対策を講じるが、無視され、また道ができる。主に定期を使う客たちだ。その攻防のさまを描き、道は自然にできるという考えを示した。実にのんびりした時代だったのだ。

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