トップコラム受験合否は勝ち組・負け組?

受験合否は勝ち組・負け組?

勉強をする学生

電車の中で、不安そうな表情をした受験生らしい学生と心配そうに寄り添う保護者らしき大人の姿をよく見掛けるようになった。受験シーズンに、毎年繰り返される光景だが、オーバーツーリズムが指摘される今年はホテルの確保に苦労したはずだ。上京してきたであろう受験生を見るたびに、例年よりも力を込めて「頑張れよ!」と心の中でエールを送っている。

筆者には縁遠い話だが、「お受験」という言葉をよく耳にするように、日本人は早ければ幼稚園受験、遅くとも高校受験を経験し、合格の喜びや不合格の悲哀を味わっている。中学までは村立の学校を“エスカレーター進学”してきた筆者から見れば、いくら競争社会の現実とはいえ、2、3歳からお受験させられ、勝ち組・負け組に振り分けられるのは、かわいそうな気がする。

保護者は、有名幼稚園に入ることが子供の幸せにつながると確信するからこそ、お受験させるのだろうが、合格したとして勝ち組の喜びを味わうのは幼い子供よりも保護者だろう。高校・大学受験ともなれば、希望校に合格した当事者は達成感を味わい、大喜びするのは当然だが、「勝ち組に入った」とは思わないでほしい。それ以上に、不合格になったとしても、「負け組」と失望しないでほしいのだが、受験の合否によって、若者が勝ち組・負け組を意識したとすれば、それは周りの大人の価値観がそうさせているのだろう。

価値観の多様化や個性の尊重が当たり前となった時代だ。私たちは勝ち組・負け組なんて言葉は使わないし、物事を単純に優劣二分して考えるようなことはしない。だから、受験ごときで、受験生が勝ち組・負け組と驕(おご)り卑下することを心配するのは、大人のあなたの心の底にその価値観がこびり付いているからですよ――こう反論してくれる若者がいたら、うれしいが……。

(森)

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