
再び田沼意次の話。意次が領した相良藩は静岡県の旧相良町で、現在は牧之原市になっている。鎌倉時代に相良長頼が幕府の命で現在の熊本県人吉市に入って城主となった、いわば人吉藩相良家の発祥の地だ。両市はその縁で友好都市となる。
相良町出身でNHK大河ドラマの誘致にも尽力した伊藤寿男さん(月刊「テーミス」編集主幹)は、かつて観光で人吉市を訪れた際、市の職員から「本家からわざわざお出でいただきまして」と歓待されたという。
意次の領主としての期間はわずか20年。失脚後、子の意正が遺領に復帰したのはその35年後だった。失脚の要因はさまざまあるが、低い身分から最大の権力者となっただけに、御三家はじめ守旧派の抵抗はすさまじかった。
彼らにとって封建社会下、太平の時代が続く中で門閥政治に風穴を開けようとした「田沼時代」は一種の反動と映ったのだろう。しかも商人を活用した経済政策から蝦夷地や印旛沼開拓などその先駆的な政治スタイルに、伝統を踏みにじるという怨念が加わる。
歴史は「勝者の歴史」ともいう。大東亜戦争を処断した「東京裁判」もその一つである。いったん定着した「汚名」の払拭は厳しいが、歴史は解釈というプリズムで評価も変わる。
牧之原市は大河ドラマ「べらぼう」をバネに「町おこし」のイベント開催に余念がない。経済、政治ともに閉塞感のある中でどうこの状況を打開していくか。意次の知恵に学ぶ時か。