と赤沢亮正担当相=2024年11月1日、東京都千代田区(代表撮影).jpg)
死者6434人、負傷者4万3792人、約64万棟の住宅被害を出した阪神・淡路大震災から30年となった。マグニチュード7・3、都市直下型の地震の恐ろしさは世界にも衝撃を与えた。
多くの人が倒れた家具の下敷きになって死傷した。突っ張り棒を天井との間に設置して転倒を防ぐことなどがかなり普及した。阪神・淡路の教訓はどれだけ生かされているのか、身近なところから改めて問い直してみたい。
最大の教訓は、震度7近い地震は日本ではどこでも起き得るということだ。当時、「東海地震」の発生に関心が集まり、阪神地方はほとんどノーマークだった。そして都市は地震災害に脆弱(ぜいじゃく)ということ。
にもかかわらず、首都直下型地震が起きた時への備えはとても十分とは思えない。木造住宅密集地で火が燃え広がらないようにする取り組みなどが進められているが、それらとともに首都機能、政府機能をいかに維持するか。
政府の地震調査研究推進本部によると、首都直下型地震の30年以内の発生の確率は70%程度と予測されている。地震によって政府機能が麻痺した場合、それは国全体が麻痺(まひ)してしまうことを意味する。
改めて政府機能の地方への移転を検討すべきではないか。東京一極集中からの脱却は、防災の観点からも喫緊の課題である。南海トラフ地震の30年以内の発生確率が80%へと引き上げられ、警戒が強まっているが、首都直下への抜本的な対策から目を逸(そ)らしてはならない。