トップコラム識名園を建てた若き王の功績

識名園を建てた若き王の功績

識名園

先日、那覇市の世界遺産「識名園」に立ち寄った。識名園は18世紀に建てられた琉球王家最大の別邸で、琉球国時代に海外からの使者をもてなす際などに使用された。大きな池が特徴的な綺麗(きれい)な庭園や、市内を一望できる展望スポットなどを散策していると、まるで国王になったかのような優雅な気持ちにさせられる。

しかし驚くことに、この立派な邸宅を建設した王は当時、10代だったというのだ。彼の名は尚温王。1795年、12歳の若さで即位した青年王だ。気の毒なことにわずか19歳で夭折(ようせつ)してしまうが、彼は現代に続く大きな功績を残している。

四方を海に囲まれ資源の少ない琉球において、人材育成こそが重要であると考えた尚温王は、即位から3年後、琉球王府運営の最高教育機関として「国学」を創設した。

1887年、国学は後に沖縄県尋常中学校に改名。その後も県立中学校、県立第一中学校と名前を変えながら、沖縄が本土復帰した1972年に現在の「県立首里高校」となった。同高校の体育館には、尚温王自らが揮毫(きごう)した建学の理念「海邦養秀」の扁額が飾られている。

尚温王は、国学開校時の訓示「国学訓飭士子諭(こくがくししにくんちょくするのゆ)」(那覇市歴史博物館収蔵)の中で、教育の基本は「人格形成」と「学芸の習得」であると語っており、努力して勉強した者は身分に関係なく役人として雇うとまで宣言している。もはや10代の王とは思えぬ貫禄すら感じるエピソードだ。

現在、首里高校の生徒たちの年齢は尚温王が国学を開いた15歳の時期と重なる。琉球・沖縄の繁栄を夢見た若き王が築いた教育の礎は、現代の高校生たちにもきっと引き継がれていることだろう。

(K)

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