皇紀2685年、令和7年、乙巳(きのとみ)が明け、戦後80年を迎えた。
昨年は、度重なる災害にどう立ち向かうかが問われた一年だった。元日に発生した能登半島地震で、多くの家屋が倒壊し、住民の命を奪い、人々の暮らしを一変した。その翌日は羽田空港で、能登への支援物資を運ぶ海上保安庁の航空機と、日本航空の航空機が衝突して炎上した。更に9月には、能登の被災地に記録的な大雨が降り、災害関連死を含め死者は500人に迫っていると言う。
政府は12月27日の臨時閣議で、一般会計の歳出総額が115兆円を超える過去最大を更新した令和7年度予算案を決定した。その主な事業ポイントが新聞に大きく報道されているが、タイトルは「巨額歳出、借金依存」とあった。
元日の午前中に、いつもの通り氏神様に初詣し、「傘寿の今年は笑える年に成りますように」とお願いした。多くの人が笑顔でお参りしているのを見て、今年の漢字一文字を「笑」にと決めたが、政府の中央防災会議が発表した防災被害想定を思い起こした。
科学的に想定される最大級の「南海トラフや首都直下型地震・津波」が発生した際の被害である。それによれば、静岡県から宮崎県にかけて、一部では震度7の可能性があり、関東地方から九州にかけて、10㍍を超える大津波の可能性が高いと。今年も笑ってはいられない。
能登、東日本、阪神淡路等の過去の反省を学び、まずは個人としてどのような備えをして、自分を守るか。家族を守るか。
子供の頃、祖母がよく言っていた「何か起こったら、まず衣(・)・食(・)・住(・)だ」を思い出す。東京で関東大震災や、戦争時の空襲を体験した祖母が、まず自分を守り家族を守り生き抜くためには何か、を学び備えていた。
戦後、田舎に帰って生活していた家には、非常時に備え、下着、靴下、靴そして米10㌔と水は備蓄してあった。「住」については、今思えば物置に使っていた防空壕(ごう)がそれだったのか。
1年経ても、普通の生活が出来てない能登半島から何を学ぶのか。国におねだりする前に、「衣・食・住」を備えておく。そして子供、孫達と一緒に体験しておくことを祖母の教えに追加したい。
例えば家族が集まる時に、子供と孫に準備してある缶詰を開けさせる。薪で火を燃やして食べ物を温める。それで皆で食べてみる。飲み物はどうするか。洗い物は、水道が出ない時のトイレはと。体験・訓練しておくことが生死を分ける。非常用缶詰に書かれてある説明の文字が小さい。夜、電気が切れたらローソクの光では読めない。子供や孫たちは喜んで「作業」した。(呑舟)