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作家の三島由紀夫は1925(大正14)年生まれで、生きていればきょうが100歳の誕生日ということになる。今や100歳を超える人は9万人以上。100歳の三島が、今の日本をどう評したか想像したくなる。
三島は70年11月に東京・市谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺する4カ月前、産経新聞に寄稿し、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と予言した。
事実、日本は80年代に繁栄を享受する。しかし半世紀近くを経て、経済大国の勢いは薄れる一方、文化面では一種の日本回帰や「クールジャパン」に象徴される日本文化の世界への発信という現象も起きている。
日本の漫画やアニメなどサブカルチャーが中心となった新ジャポニズム。日本文化に流れる「文化意志」を誰よりも自覚していた三島なら、これをどう評価するか。
三島の年齢は昭和と重なり、今年は昭和100年。「三島由紀夫の死で昭和が終つたといふ直感は、私もその中に含めて、当時、多くの者の抱いたところである。それは、思想、立場のちがひを越えて、この事件が時代の象徴として受け止められたことを意味する」と文芸評論家の桶谷秀昭氏は言う(『昭和精神史 戦後篇』)。
昭和から引き継ぐさまざまな課題が噴出する日本を考える時、三島は重要な鍵であり続けている。