年頭になると、一年の出発のための行事がある。歳時記をひもとくと、年始・1月の季語には「初」がつくものがずらりと並ぶ。「初日の出」はもちろんだが、気になっているのは「書初(かきぞめ)」。
この季語には昔からなじんでいるけれども、実際には書道をやっていない限り、年頭に筆を執って字を書くということを習慣にしている人はあまりいないのではないか。
確かに、硯(すずり)を摺(す)り、筆で墨を含ませて真っ白な半紙に字を書いていくというのは絵にはなるだろう。精神的にも気分がいいイメージがある。
その意味では、気分一新の出発にはぜひやってみたいと思うのだが、習字道具一式をそろえてやるとなると、ちょっと面倒くさい。
ならば、硯を必要としない筆ペンなどでやったらどうか、と思ったこともあるが、字を書くという心を整えるものにはならない。
冠婚葬祭などの封筒に書くのにはふさわしいが、字を書くという精神統一を必要とする習字とはまったく違う気がするのである。
字というものには、書く人の心が反映されるというと、オカルト的に思われるかもしれないが、字に人柄や心遣いが反映されると思っている。
その意味では、年賀はがきなどで、印刷ではない手書きの文字で書いてくる人には、どこか心が温かくなり、親しさが増す。
「書初」という言葉を聞くと、そんなことを思うのである。大切にしたい習慣である。
(羽)