トップコラム養子入り断られた井伊直弼【上昇気流】

養子入り断られた井伊直弼【上昇気流】

井伊大老像

江戸時代の社会のイメージは、身分社会、がんじがらめの閉塞(へいそく)状況といったところだろうか。しかし、実際はそうでもない。例えば養子制度。実子が優秀でない場合、養子を取る。大事なのは「家」の存続だ。力量の低い実子に代わって有能な養子を取れば、家を存続させるには都合がいい。『日本史の論点』(中公新書)にその話が紹介されている。

養子に入った者は、その家の人間になりきろうとする傾向が強い。一方、実子は実子だから、その必要がない。養子の方が頼りになる。

江戸時代の身分制度は、養子という便利な制度によって支えられていたと言える。これも時代に合わせるために生み出された知恵だ。なお、男女一組の夫婦を養子として取る制度(嫁取り婿取り)は、世界史的には珍しいようだ。

彦根藩主の息子だった井伊(いい)直弼(なおすけ)は、養子先に恵まれなかった。話はあったが、いずれも相手先の大名家から断られた。養子先もなくなってブラブラしていたころ、兄の死によって彦根藩主になることができた。

彦根藩主でなければ、後に幕府大老になることもない。歴史の皮肉だ。養子を断られた理由は不明だが、勝手な推測をすれば、いささか気難しい個性があったのかもしれない。

直弼の歴史的評価も大きく変わっている。20年ぐらい前は、安政の大獄という政治弾圧を行った人物という評価だった。当今は、開国路線を推進した人物とされる。歴史学の発達のスピードには驚かされる。

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