トップコラム赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(43)海軍の戦線拡大症候群(下)

赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(43)海軍の戦線拡大症候群(下)

戦略より戦闘の攻撃絶対主義

出世競争、官僚的保身も影響か

トラック島に停泊する戦艦大和と武蔵

陣地を重視する陸軍

海軍はなぜ、これほどまでに戦線の拡大に執着したのか。国家としての確たる戦争指導方針や戦略の不在だけがその理由だったのか?戦史家の伊藤正徳や公刊戦史は野戦と海戦の違い、即(すなわ)ち陣地を重視する陸軍と、拠点よりも機動性を重視し戦場を己の欲する海面に求めようとする海軍の戦略思想の相違に求めている。

大部隊を運用する陸軍では補給線の維持が不可欠であり、その限界である攻勢終末点が重視される。だが個々の船が戦力と補給の単位である海軍では、船を自在に動かし高い機動力の発揮を目指すので、後方との連絡や補給線維持の発想に乏しく、だから膨張しやすいというのだ。海軍の行動範囲が広いことや運用における柔軟多様性の高さは指摘の通りだ。だが列国の海軍にひたすら戦線拡大を目指した昭和の日本海軍のような傾向は見て取れない。

国家戦略や戦争全体を統べる明確な戦争戦略が不在であった一方、日本海軍では戦闘や戦術における勝利に関心が集中していた。戦線を拡大したがる癖は、眼前の敵主兵力撃砕を重視する攻撃絶対の意識が影響したのではないかと考える。

秋山真之

明治34年、秋山真之少佐起草の「海戦に関する綱領」を骨子として制定された「海戦要務令」の「戦闘の要旨」では、「戦闘の本旨は、攻撃を執り、速やかに敵を撃破するに在り」。「戦闘の要訣(ようけつ)は先制と集中にあり。先制の利を占むるには、…敵の弱点に乗じ、迅速果敢なる攻撃を行うを要」し、「決戦は、戦闘の本領なり。故に戦闘は常に決戦によるべし。…決戦は、犠牲を厭(いと)わず敵に接近して、果敢なる攻撃を行うを以(もっ)て、要訣とす」としている。

日本海海戦の大勝に倣い、日本海軍は太平洋を西進する米艦隊を逐次攻撃、最後は日本近海で待ち受け一挙に殲滅(せんめつ)する漸減邀撃(ようげき)戦略を採った。だが戦術的には積極的に打って出て敵を叩(たた)き潰(つぶ)すべしと説く教育方針が徹底され、攻撃こそ最良の戦法で、かつ最高の防御とする攻撃絶対主義が支配的となった。

戦略よりも戦術や戦闘に重きを置き、戦争目的の達成よりも目先の戦闘での勝ちに拘(こだ)わったために、敵の打倒と占領地拡大を以て戦争の勝利と見做す発想が海軍に沁(し)みついた。しかも軍縮条約で対米7割が果たせなかった海軍が太平洋の制海権を握るには、我に倍する敵に対しても犠牲を恐れず勇猛果敢に攻撃を加え、前へ前へと進む戦法が宿命づけられた。

軍人の出世競争が戦線拡大を招いた面もあった。勇敢に戦い占領地を広げることは栄達の途(みち)とも信じられた。さほど重要とは思えぬアリューシャン列島の攻略は、開戦以来、南方の部隊ばかり注目され、焦りを感じた北方の部隊が手柄を求めての戦いではなかったか。

他面、勇敢さと矛盾するが、強大な米海軍へのコンプレックスや恐怖心も攻撃絶対意識の底にあったように思える。真に強き者は無謀な行動には出ないものだ。やみくもに攻撃絶対を叫ぶのは、勇み膨張することで攻め寄せて来る米艦隊への不安を払いのけようとしたのではないか。多くの占領地を確保すれば、米艦隊の本土接近を遅らせることが出来るからだ。

山本の短期決戦主義

さらに膨張志向の強さは山本五十六の短期決戦主義とも関わっている。南方資源地帯を占領し、長期持久態勢を取ることに彼は反対した。日本に米国と長期戦を戦う力はない。戦争を収めるには待ち受けではなく、米艦隊を追い求め攻撃の手を緩めず早期に殲滅、米国の戦意を削ぎ講和に持ち込む以外に途は無いというのが彼の信念だった。戦線を広げ米軍を追い込めば米艦隊を誘い出すことができ、殲滅の機会も早まるとの発想だ。

ところが、実際の作戦経過を顧みると、山本は真珠湾攻撃の後、米艦隊を追い求めるよりも南東太平洋やインド洋の制圧を優先させた。さらにミッドウェイの大敗後は、空母の損失を避けるため米艦隊追撃の姿勢は後退した。山本以上に艦隊の各級指揮官は艦艇の損失を恐れ、腰の引けた戦いを繰り返すようになる。

我が空母機動部隊は表向き米空母撃砕を叫びながら、常に米軍機の攻撃圏外に位置し、米艦隊に肉薄しようとしなかった。昭和17年秋の南太平洋海戦後、1年間も米空母不在の時期が続いたにも拘(かか)わらず、連合艦隊は空母部隊の錬成を優先させ、この好機を活(い)かさず米軍への反攻を試みなかった。戦線拡大の役目はいつしか航空部隊だけに背負わされたのだ。

犠牲を厭わず航空部隊には連日の出撃を命じながら、水上部隊はトラック島に潜んだままだった。艦隊を出撃させなかった理由に燃料の不足を挙げた。しかし、米艦隊撃滅を説くのであれば、残存燃料でも進出すべきだった。遊ばせている戦艦でボルネオから石油を運べばよい。それが総力戦というものだ。厳に戦争末期、戦艦伊勢で石油を運んだ例もある。全ての持ち駒をフルに活かさず、帝国海軍はフリートインビーイングに陥ったのである。

消耗品扱いの搭乗員

戦線拡大に固執し航空攻撃は繰り返すが、駆逐艦を除き主力艦は退嬰(たいえい)的な引きこもりが続く。この対照的な戦いぶりはどう説明がつくのか。海軍の象徴である大型艦にはエリートが乗る。貴重な空母を失えば指揮官は更迭され、連合艦隊の威信に傷もつく。官僚的保守日和見の意識が潜んでいたのではないか。一方航空機や搭乗員は消耗品扱いだった。死ぬまで搭乗員に休息は与えられなかった。

戦線拡大や攻撃絶対を唱える一面と官僚的な保守保身の意識が併存するなか、勝機を見いだせぬまま、戦力の切り札である航空部隊が攻撃絶対の掛け声の下、消耗戦を強いられ摺(す)り潰されていった。その姿は、1年後に航空部隊から開始された特攻作戦の予兆とも言える。

(毎月1回掲載)

戦略史家東山恭三

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